土庄町は、瀬戸内海に浮かぶ小豆島(しょうどしま)の中央から北西部にかけての領域と、豊島(てしま)・小豊島(おでしま)・沖之島(おきのしま)という三つの有人離島を含む自然豊かな町です。小豆島の中央から南東部に広がる小豆島町と土庄町の二つの自治体で「香川県小豆(しょうず)郡」を構成しています。
香川県小豆郡に属する4つの有人島の中で最も大きいのは小豆島。小豆島は、地図上で見ると小さく見え、島名の「小豆」という字は、「あずき」とも「こまめ」とも読めるため、「ひょっこりひょうたん島」のようにこぢんまりとした可愛らしい島をイメージする人も多いかもしれません。
しかし、実は小豆島は、瀬戸内海に浮かぶ7,000余りもの島々の中では、群を抜いて大きな淡路島(592.5㎢)に次ぐ、比較的大きな島(153.3㎢)です。しかも、瀬戸内の島々にある山の中で最も高い「星ヶ城山(ほしがじょうさん:817m)」を有する高さのある島でもあります。
島の中央から東部にかけて連なる星ヶ城連山の西側にある「四方指(しほうざし)展望台」まで登ると、東にそびえる星ヶ城山との間に、ゴツゴツとした岩肌と木々の柔らかな緑とのコントラストが印象的な深い渓谷「寒霞渓(かんかけい)」が広がり、醤油蔵が並ぶ内海(うちのみ)の町や、壷井栄が小説『二十四の瞳』の舞台として描いた田浦半島を眺め下ろすことができます。また、視線を北側から南東の沖合と向けると、岡山から兵庫へと続く山々の稜線、いくつもの煙突が伸びる姫路沿岸の工業地帯、淡路島、淡路島と徳島をつなぐ鳴門大橋を望むことができ、そこからさらに南西方向へ目を向けると、台状の形が特徴的な屋島や高松市街地、小豆島と香川本土の間に浮かぶいくつもの島影が目に飛び込んできます。
このように、大きくて起伏に富み、本州・淡路島・四国と真っ青な海にぐるりと囲まれた小豆島のてっぺんは、まるで天空にいるかのような気分を味わえる場所なのです。
ここで、もう一度小豆島の地図をじっくり眺めてみましょう。牛が前傾姿勢になり、飛び跳ねているように見えませんか?土庄町は、この牛の頭のあたりから背中にかけての部分と、耳のような三角形の岬から小さく突き出した角のような沖之島、勢いづいた牛の視線の先に並ぶ小豊島・豊島から成り立っています。牛のようだと思ってみると、親しみが湧いてきたという人もいるかもしれません。
とはいえ、「土庄町」と聞いて、すぐに何かをイメージできるという大学生は、残念ながら稀でしょう。もしかすると、引き潮の時間帯にだけ姿を現す神秘的な砂の道「エンジェルロード(牛の首のあたりから鈴が下がっているように見える余島までの道)」については写真で見たことがあるよ!という人はいるかもしれませんが、「知名度」という観点からみると、土庄町は、隣接する小豆島町に遅れを取っていると認めざるをえないでしょう。なにせ、先に紹介した星ヶ城、「日本三大渓谷美」と謳われる寒霞渓、戦後間もない時期に小豆島観光ブームを巻き起こした名作『二十四の瞳』の舞台、実写版『魔女の宅急便』の舞台に選ばれ、「小豆島といえばオリーブ畑と白い風車」という異国情緒あふれるイメージを若い人たちに根付かせるのに一役買ったオリーブ公園…など、多くの人が「小豆島の象徴」として思い浮かべるもののほとんどは小豆島町にあるのですから…。
それでは、土庄町にはエンジェルロード以外に見るべき所はないのか!?というと、決してそうではありません。広く知られていないだけで、「実はこんなにすごいんだよ」と自慢したくなる魅力がいくつもあります。もちろん、その多くは小豆島町も含めた「小豆島全体の魅力」と言い得るものですが、土庄町ならではの知られざる魅力もたくさんあります。以降では、7つのポイントに絞ってその一端をご紹介しましょう。
① 江戸時代からの「良質な石の産地」
実は小豆島は、江戸初期から現在に至るまで約400年もの間、良質な石を産出する「石の島」として知られ、各地に大量の石材を提供してきました。最初に小豆島の「石の島」としての価値を発見したのは、江戸幕府第二代将軍・徳川秀忠から大坂城の再建を命じられた諸大名。1615年の大坂夏の陣で豊臣勢の拠点であった大坂城を落城させた徳川家は、1620年から約10年間もの歳月をかけて初代大坂城を覆い隠すように城を再建する一大プロジェクトを構想しました。そしてこの実行を命じられた諸大名が目を付けたのが、大坂までの海上輸送の便が良く、良質な花崗岩に恵まれた瀬戸内の島々(小豆島・笠岡諸島・塩飽諸島など)でした。中でも小豆島で採れる石は、大きく形が良いため、最も見栄えが重要な石垣の角に据えるのに最適だと評判が高く、主に九州の諸大名が島内各地に競うようにして石丁場(石を採掘する現場)を拓きました。
近代に入ってからも小豆島の石への需要は収まらず、むしろ増していきました。例えば、測量や地図作成のために経度・緯度・標高の基準となる地点(三角点・水準点)に埋め込まれた標石のほとんどは、小豆島で採られた石から作られています。小豆島の花崗岩は美しいだけでなく耐久性に優れているとの理由から、1896年に日本陸軍参謀本部外局の陸地測量部が標石用材に指定すると、小豆島花崗岩は全国各地へ旅立ちました。その主産地は、大坂城残石記念公園のある土庄町北浦地区小海集落。戦後になると埋め立て用石材の需要も増大しました。関西国際空港や神戸空港の建設の際には、小豆島からたくさんの石材が運び出され、埋め立てのために使われました。土庄町大部地区と小豆島町福田地区の採石場は現在も稼働中です。
小豆島だけでなく、豊島も「石の島」です。ただし、豊島で採れる石は花崗岩ではなく角レキ凝灰岩です。柔らかいものの加工がしやすく火に強いため、京都の桂離宮や岡山の後楽園、高松の栗林公園などの庭園や、一般家庭の灯籠によく使われてきました。
このように、小豆島や豊島の石は、日本社会にあまりに馴染みすぎているために気づかれないだけで、各地で社会を土台から支え、景観を形作ってきたのです。
② 「醤油・素麺・ごま油・オリーブ油」の主産地であり、「オリーブ牛」誕生の地
小豆島は、「醤油・素麺・ごま油・オリーブ油」の主産地であるという点も、それぞれの食品があまりにも私たちにとって身近過ぎて気づきにくい点でしょう。
まず醤油について。醤油全体の生産量でみると、キッコーマンやヤマサ醤油など複数の大手メーカーが集まる千葉県とヒガシマル醤油のある兵庫県の生産量が突出しており、小豆島のある香川県は全国5位とそれほど目立つ存在ではありません。しかし、小豆島がユニークなのは、今や醤油全体の1%を切るほどしか作られていない伝統的な「木桶仕込みの醤油」の最大の産地であるということ。全国で使われている約4,500本の木桶のうち、なんと約1/4が小豆島で醤油醸造のために使われているのです。もともと小豆島に木桶醤油を持ち込んだのは、17世紀初めに大坂城再建に携わった石工たち。彼らが持ち込んだ湯浅(和歌山)の醤油の味を知った島の人びとは、湯浅まで赴いて醤油の醸造方法を学び、19世紀には、小豆島産醤油を島外へ移出するほど生産量を拡大させていきました。現在、20以上ある小豆島の醤油蔵の多くは、小豆島町苗羽地区・馬木地区の「醤(ひしお)の郷」に集中していますが、土庄町エリアにも、北浦地区と大部地区に四つの醤油蔵が伝統の味を継承しつつ創意工夫を凝らし、各地に届けています。
次に素麺とごま油について。小豆島は、「うどん県」を謳う香川県下にありながら、うどんではなく、手延べ素麺を特産品としています。その生産量は兵庫の「播州素麺」、奈良の「三輪素麺」とともに日本の三大素麺に数えられるほど多く、もちもちとして旨味が強い。その旨味の秘密は、麺を伸ばす工程で生地がくっつかないように塗られるかどや製油のごま油にあります。そもそも小豆島に素麺の製法が伝えられたのは、大坂城再建の石工が島に醤油を持ち込むすこし前。お伊勢参りに出かけた島民が、旅の途上で立ち寄った三輪で素麺に出合ったのがきっかけでした。すでに15世紀頃から小豆島は良質な塩の産地として知られ、降水量が少なく稲より小麦に適した気候条件のために、塩・小麦・水を原料とする素麺製造は、農閑期となる冬の副業として農家に徐々に受容されていきました。小豆島産の素麺の成型に使われる油がごま油になったのはいつからなのかは定かではありませんが、少なくとも、かどや製油が現在の土庄町淵崎地区に誕生した江戸末期(1858年)頃には、「小豆島素麺にはごま油」という組み合わせが出来上がっていたのでしょう。かどや製油は、大手ごま油メーカーとして広く知られるようになった今も変わらず、小豆島素麺に欠かせない存在です。
最後に、オリーブとオリーブ牛について。オリーブは、今最も小豆島らしさを象徴する植物となっていますが、古来より地中海で愛されてきたこの植物が小豆島に初めて根を下ろしたのは1908年(明治41年)、島の至る所で見られるようになったのは1990年代以降と、実はごく最近のことです。農商務省が、明治以来輸入が増え始めていたオリーブ油の国内自給を図るため、オリーブ栽培試験を行った三重・鹿児島・小豆島のうち、順調に生育したのは小豆島のオリーブのみでした。1990年代以降に栽培量が急拡大したのは健康志向の高まりが大きく影響しています。
「オリーブ牛」は、小豆島産オリーブから採油した後の搾りカスを餌にして育てられた肉牛のことです。讃岐牛のブランド価値をより高めようとした土庄町の肥育農家・石井正樹さんの試行錯誤により、2010年に誕生しました。以来、肉の柔らかさとさっぱりとした甘みのある味、脂質が程よいヘルシーさが好評を呼び、小豆島、小豊島だけでなく香川県内の各地で育てられるように。小豆島のオリーブ牛生産は、従来廃棄されていたオリーブの搾りカスを飼料化し、牛の糞を堆肥化してオリーブ栽培に活かしているため、「循環型農業」のモデルとしても注目を集めています。
③ 四国八十八箇所の小豆島バージョン「小豆島八十八箇所」
「お遍路さん」と聞いて、みなさんがすぐに思い浮かべるのは「四国八十八箇所」ですよね。讃岐屏風ヶ浦(現在の香川県善通寺市)で生まれ、高級官吏になることを目指して京都の大学で学んでいた空海(幼名は真魚、弘法大師)は、遊学中に吉野や葛城山で出会ったある修行僧から大きな影響を受け、仏道に進むことを決意。仏道を究めようと四国へ戻った空海が修行を積んだのが、現在「四国八十八箇所」と呼ばれる寺院のある場所です。
しかし、空海が修行を積んだ「八十八箇所」には、実は小豆島バージョンもあります。四国で修業を始めた空海はその後、讃岐と京都との間を行き来する途上でしばしば小豆島へも立ち寄り、修行や祈祷に励んだのだそう。その修行と祈祷の場は、やがて「小豆島八十八箇所」と呼ばれるようになり、地元の人や中四国・山陰・兵庫などから来るお遍路さんの祈りの場となってきたのです。小豆島八十八箇所の特徴は、四国八十八箇所に比べてコンパクトな一方でハードな所。全長約1,200㎞ある四国八十八箇所は、すべを歩き切るのに約40日は必要。これに対して、全長150㎞しかない小豆島八十八箇所は僅か約6日~10日で歩き切ることができますが、その行程の中には、急峻でゴツゴツとした岩場に建てられた「山岳寺院」も多く含まれ、それらを登り切るのには相応の体力が必要です。
小豆島八十八箇所の行程は、小豆島町坂手地区(牛の後ろ足の後ろ側あたり)にある第一札所・洞雲山から始まり、牛の後ろ足からお腹、前足を通って頭を回り、首元を通って背中を伝って尻尾まで行って、後ろ足の付け根にある第八十八番札所・楠雲庵で終わり。土庄町エリアにあるのは、第46番札所・多聞寺から第81番札所・恵門ノ滝までです。集落の畑や家々を眺め、時に山へと分け入る遍路道をゆっくり歩けば、県道を車で通り過ぎる時には決して味わえないような静けさに浸ることができます。また、島の人びとから温かい「お接待」を受けられるかもしれません。土庄町エリアの寺院のうち、いわゆる「山岳寺院」と呼ばれる標高の高い岩場にあるのは、第七十二番滝湖寺奥の院「笠ヶ滝」や第八十番子安観音寺奥の院「山之観音」、第八十一番「恵門ノ瀧」。登り切るのは大変ですが、絶景が待っています!
④ 毎年たくさんのランナーが楽しむ「瀬戸内タートル・フルマラソン」
車での旅行では味わえない島の風景を体感してみたい!という方には、八十八箇所巡りだけでなく、マラソンもお勧めです。小豆島町エリアでは、毎年5月に内海湾から田ノ浦半島までの21.0975㎞(ハーフ)を走る「小豆島オリーブマラソン」が、土庄町エリアでは11月末~12月上旬に「瀬戸内タートル・フルマラソン」が開催されてきました。コロナ感染拡大を避けるための休止期間を経て3年ぶりとなった第41回は、寒霞渓への観光客が増える紅葉シーズンを避けて2023年1月に開かれ、1500人近くのランナーが牛の首元から背中にかけて(土庄町市街地から小部地区まで)の往復42.195㎞を駆けました。
1980年12月に始まり、40年以上の歴史を持つ「瀬戸内タートル・フルマラソン」は、もともと「中高年の健康増進」を目的に掲げて1972年にスタートし、後に「女性と障がい者のスポーツ振興」も目的とするようになった「タートルマラソン全国大会」の地方版として開催されてきたものです。ちなみに、小豆島オリーブマラソンは1978年にスタート。こちらも40年以上の歴史があります。
「タートルマラソン」の「タートル」は、イソップ物語の「ウサギとカメ」に登場するカメにあやかって付けられたそう。ウサギが油断して居眠りしている間に、着実に歩を進めて勝利したカメのように、瞬発力はなくても集中力と持続力を武器に、長い距離(それは人生のようなもの)を乗り切ろうというコンセプトがあるのだそうです。小豆島の中でも特に起伏の激しい北側のコースを往復する瀬戸内タートル・フルマラソンのコースを見ると、怖気づいてしまうかもしれませんが、タートルマラソンの主な目的は、早く走ることではなく、ゆっくりでも良いから最後まで完走することにあります。まずは、穏やかな内海湾の風を受けながら走ることのできる5月のオリーブマラソンで体を慣らした後で、冬にタートルマラソンに挑戦してみるのも良いかもしれません。市街地から峠を越えた後に目前に飛び込んでくる瀬戸内海の雄大な眺めは、きっと格別です。
⑤ 映画・アニメの舞台や、ミュージックビデオ・数々CMのロケ地
恥ずかしがり屋で不器用な西片くんと、西片くんをからかうのが好きな高木さんが繰り広げる最近大人気の青春ラブコメ漫画&TVアニメ『からかい上手の高木さん』を通して、土庄町を知っているよという方はいるかもしれませんね!漫画の作者である山本崇一郎さんは土庄町のご出身。そのため、TVアニメ版には、土庄町ならではの風景やスポットが登場し、土庄町にはたくさんのファンの方々が『聖地巡礼』を目的に遊びに来られます。全国的にみると20~40代の男性層から熱い支持を得ているそうですが、地元土庄町では、特に中高生に大人気。同年代の等身大の恋愛が描かれ、しかも、自分たちにとって身近な場所が登場するなんて、まるでアニメの世界の中に生きているみたいでワクワクしますよね。
小豆島は、この他にも映画『八日目の蝉』(原作:角田光代、主演:井上真央・永作博美)や、実写版『魔女の宅急便』(原作:角野栄子、主演:小芝風花)のロケ地として選ばれています。土庄町エリアでは、ハワイを思わせるような南国風のビーチが広がる土庄町の旧戸形小学校(現戸形地区公民館)がいずれの映画にも登場する人気スポット。SKE48など今人気の若手ミュージシャンのミュージックビデオにも、旧戸形小学校やエンジェルロードをはじめとする景勝地が登場します。
⑥ 島内各所で、日本や世界各地で活躍する作家の「アート」に触れられます
みなさんは、備讃瀬戸(瀬戸内海の東側、香川・岡山県下の島々)を舞台に開かれる『瀬戸内国際芸術祭』をご存知ですか?この芸術祭は、「『海の復権』をテーマに掲げ、美しい自然と人間が交錯し交響してきた瀬戸内の島々の活力を取り戻し、瀬戸内が地球上のすべての地域の『希望の海』となること」を目指して、2010年から三年に一度開かれている現代アートの国際芸術祭です。芸術祭が開催される年の春・夏・秋の約100日間の会期中には、今や「現代アートの聖地」と称さるほど有名になった直島をはじめとして、犬島、小豆島、豊島、男木島、女木島、大島、本島、沙弥島、高見島、粟島、伊吹島には、国内外から多くの人びとが訪れ、国内外のアーティストが時に住民と協働しながら創り出した作品の数々を堪能します。2022年の第5回瀬戸内国際芸術祭には、計72万人もの来場者がありました。
土庄町エリアの中で、最も多くの作品に触れられるのは、小豆島とはまた異なるのんびりとした風景の広がる豊島です。豊島は、家浦、唐櫃、甲生の三つの地区に分かれていますが、集落の中だけでなく、森の中、海辺にまで足を延ばせば、そのどの地区でも複数の作品と出会うことができます。中には唐櫃の豊島美術館や島キッチン、家浦の豊島横尾館のように美術館やレストランとして会期以外の期間も活用されている建築作品もあるので、それらの施設を目印にしながら、散策に出かけるのもよいでしょう。