神戸学院大学生、51災の記憶を記録する
こんにちは!域学連携担当の森です。5月12~13日、神戸学院大学現代社会学部・松田ゼミのみなさんが「1976年(S.51)の災害の記憶を記録する」ことを目的に、今年度一回目のフィールドワークに来られました昨年度の3回生は、地区公民館を通じた地域活性化をテーマに大部公民館・北浦公民館を調査されました。
今年度の三回生が取り組むのは、地域で「51災」と呼ばれる、1976年に起きた台風17号による集中豪雨被害について。このテーマにしたのは、昨年度、公民館調査の準備のために地域で話を聞いていた時、大部地区では51災でかなりの被害が出たとの情報を入手したのがきっかけです。
小豆島町の災害の歴史と記憶
情報を集めてみると、小豆島では1974年(S.49)と1976年(S.51)に台風を起因とする集中豪雨が起き、これによって激しい土砂崩れが起きてたくさんの方が犠牲になったということが分かりました。
被害が大きかった小豆島町(当時は池田町と内海町)の記録によれば、49災では死者29名、重軽傷者41人、家屋の全壊半壊、床下浸水の被害があり、51災では6日間のうちに年間降雨量をはるかに上回る1,400ミリもの豪雨があって死者35人、重軽傷者82人、全半壊家屋388戸、床上床下浸水4,229戸もの被害があったそうです。
そして、今後二度とこのような被害を生まないようにと、被害が起きたメカニズムを地質学的に解説し、住民体験やその後の災害防止策をまとめた冊子『小豆島 災害の記憶』を発行しています。また、香川大学と協力して、デジタルアーカイブも作成・公開されています。
https://www.town.shodoshima.lg.jp/gyousei/kakuka/somu/2_1/3/4808.html
土庄町の災害経験を調べる
それでは、土庄町側では?と『土庄町誌 続編』を紐解くと、特に大部地区で51災の被害が激しく、町全体で「死者6名、全半壊54戸、床上下浸水929戸、農作物被害382ha」とかなりの被害があったことが分かりました。しかし、この災害体験について今のところまとまった冊子や動画はない模様。ないなら、松田ゼミの学生さんにつくってもらおうと、このテーマが決まったのです。
今回のフィールドワークは、小豆島について知りながら、災害の概要も学ぶこと。小豆島町の冊子やアーカイブを参照しながら、オリーブ公園・醤の郷をめぐり、表面的には「観光スポット」にしか見えないこれらの場所が、同時に「被災地」でもあったことを学び、醤の郷の近くに建立された二つの災害被害者を悼む「やすらぎの塔」へも行きました。
その後土庄町エリアに移動。富丘八幡に登って土庄市街地の輪郭をつかみ、肥土山・中山の美しい田んぼを眺め、大坂城残石記念公園へ。さらに、琴塚集落で昨年度もお世話になった元自治会長平野さんに51災の時の体験を伺い、最も被害の激しかった大部港周辺エリアへ。
こちらでは、まずは大部の暮らしについて学ぼうと、ヤマトイチ醤油さんの醤油ギャラリーで民具を見せてもらいました。店主の大森さんから出された「桶」と「樽」の違いについてのクイズに苦戦、大盛り上がりでした地域のみなさんに快く受け入れていただき、学生のみんなもやる気がUPした模様。地域のみなさんも喜んでくださって感動しました。
これから学生たちは、神戸で阪神淡路大震災の記録化の試みや、映像撮影・編集の勉強をして、9月に本格的にインタビュー調査に取り組みます。どんな作品が出来上がるのか、学生たちがどんな成長をみせてくれるのか、地域の防災についてどんな議論ができるのか、ご注目ください。
今回のFWでは、「せとうち石の島(瀬戸内備讃諸島日本遺産推進協議会)」で活用されているパネルをお借りしました。ありがとうございました!